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孝謙天皇陵

西大寺から新大宮までの歴史の道を通って行くと、成務天皇陵と日葉酢媛命陵の間の道を通ると、孝謙天皇陵は横をかすめるだけになってしまいます。
せっかく来たのだからちょっと遠回りして孝謙天皇陵も見てみたいということになりました。


ちょっと戻って成務天皇陵の周りをまわって孝謙天皇陵まで頑張って歩きました。
ありました、孝謙天皇陵です。

聖武天皇の皇女、阿部内親王です。
初めの名前は称徳天皇です。

生涯独身で一度は藤原仲麻呂(恵美押勝)を愛し、後に孝謙天皇となり弓削の道鏡を天皇にしようとした女帝です。


孝謙女帝


孝謙天皇は女性ながらに天皇になることを義務つけられました。
本当は天皇になんかなりたくなかったのかもしれません。
普通の一人の女性として幸せな結婚をして男性を一生愛し続けたかったのかも知れません。

さて、それもまた想像です。
古墳の中で、「本当の私の気持なんか分かりっこないわよ。」と笑っているのかも知れませんね。




このあと、長屋王の敷地跡を見ようと奈良ファミリーの方まで歩いて行ったのですが、残念ながら長屋王敷地跡はそごうと一緒に無くなってしまっていました。


さて、次は元の道に戻って佐紀神社です。
佐紀神社と言うのは御前池を挟んで二つあります。

佐紀神社


ところで、奈良には纒向古墳群と佐紀古墳群があります。


纒向古墳群は大神神社から石上神社までの間に有名な箸墓、ホケノ山古墳、景行天皇陵、崇神天皇陵などたくさんの古墳があるところです。


そして、ここ佐紀古墳群にも神功皇后陵、孝謙天皇陵、日葉酢媛命陵、磐之媛陵などがあります。


ところで、この辺りはなんとも女性の古墳が多いですね
しかも時代はバラバラ。
一体どういうわけなのでしょうか。
それぞれに夫の古墳とは遠く離れています。(日葉酢媛命陵は垂仁天皇陵とは比較的近いのですが)

神功皇后の夫仲哀天皇陵は藤井寺に、磐之媛の夫仁徳天皇陵は羽曳野にあります。
孝謙天皇は結婚していないので夫の御陵はありませんが…。

何故彼女たちは夫の御陵と離れてここに集合しているのでしょうか。
私には、「も~、男なんかこりごり。私は尼寺へでも行って出家しようかしら。」なんて声が聞こえてくるような気がしてならないのです。

ま~、それも勝手な想像ですが…。


さて、本当はこの次は平城天皇陵をかすめてウワナベ・コナベ古墳の方へ行くのですが、ちょっと寄り道をして平城宮跡へ行ってみることにしました。


平城宮跡

あ~、残念です。
平城宮跡で遺構を見ようと思ったのですが、月曜日は休館日だということを忘れていました。


後は磐之媛陵とウワナベ・コナベ古墳です。
続きは次回です。






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